飲食の世界から、
皆様に幸せを届けたい。
数あるお店の中からお客様に選んでいただける飲食店になるために、飲食を通じて、より満足して頂くために品質・サービス・クレンリネス・雰囲気・人としての価値と魅力を私たちは向上し合い、そして共に働く仲間が幸せになるための環境整備を念頭に取り組んでおります。又、お店をより良くしていくためには協力業者様の支えが不可欠であり、今日までお店の付加価値を向上させていただいてます。この「お客様」「従業員」「取引業者」の三方が幸せであり続け、日々前向き行動し、感謝の気持ちを持って勤めて参ります。
そのために、私たちが日々の営業を通じて振り返り、提供する側としてより良くするためにはどの様に改善していけば良いかを常に検証し、より良くするために前向きに考え、修正し、スピード感を持って実践していくこと。時流を読み季節の商品やサービスを提供し、お客様により喜んでいただく為に、社内・社外勉強会に参加したり、有名店に行って食の勉強などを行い、社内のコミュニケーションを向上させる取り組みも行っています。全ては共に幸せになるために。
お客様・従業員・取引業者様・そして地域のお役立てができるよう、常に日日是好日(にちにちこれこうじつ)で取り組んで参ります。
有限会社ポルシェは戦前初代樫本実一が創業した「銀座商店」が始まりです。
銀座商店は海砂利を建材屋に卸す商売や、精麦所を商売としていましたが、途中勃発した第二次世界大戦で廃業を余儀なくされました。
戦後新たに事業を始めるということで、尾道駅前に銀座ホール(遊技場)をオープンし営業をしました。こちらは1963年まで営業を続けました。
その後1965年に現在のぽるしぇ本店の所在地である広島県尾道市高須町1351-1にて、宿泊設備と24時間営業の飲食店、土産物店を併設した「尾道モーテル(ドライブイン)」をオープンしました。このドライブインのオープン当時は店舗前の道路は交通量が非常に多かったのですが、1969年度尾道バイパスの開通に伴い交通量がピーク時の10分の1程度まで落ち込んでしまいました。従って交通量の減少に伴い、ドライブインからの業態転換を余儀なくされることとなりました。
尾道モーテル(ドライブイン)時代の写真
1973年高須町のドライブインを業態転換し、郊外型の喫茶店「ぽるしぇ」をオープンしました。こちらの店舗ではモーニングから始まり喫茶、食事利用も出来、夜は23時までの営業時間でした。
この「ぽるしぇ」という特徴的な名前ですが、勿論世界的自動車メーカー、ドイツの「ポルシェ」が由来です。この非常に特徴的な名称の名付け親は現会長(樫本昌人)の母、樫本信子2代目の社長です。何か外車の名前を店舗名にしたいと思い、この「ポルシェ」を選んだそうです。店舗名を「ぽるしぇ」にするにあたり、当時ポルシェ正規代理店だったミツワ自動車様に名称使用に関するお伺いの電話をかけたところ、快く了承を頂けたそうです。それどころか新店オープン当日には5~6台のポルシェで店舗に乗りつけ、お祝いとしてポルシェグッズをいくつも持参してくれたのです。
この喫茶店は当時としてはとても斬新な構造の施設で、中二階があり、高価な毛足の長い紫色のカーペットを店内に敷き詰めるなど内装にも非常に拘った造りをしていました。コーヒーにもノリタケなど高価な陶器を用いて、1杯が当時の価格で400円と高額な価格設定での提供でした。またバーテンダーを雇い、ペティーナイフを使って作る本格的なパフェを提供するなど、他にはない、全てにおいて非常にこだわりのある喫茶店でした。この斬新な建物構造がお客様から好まれ、店舗の個室がお見合いの席に利用されることもありました。
この店舗は1960年代後半から進んだモータリゼーション(自動車の大衆化)の波に乗り、車を持つ事がステイタスであるカップルのデートスポットとして利用されました。この時代には、「喫茶店ぽるしぇ」はこの地域では知らない人が居ないほどの有名店になったのです。
店舗オープンして5~6年後、郊外型喫茶店の一大ブームが来ました。そのため、この「ぽるしぇ」もライバル店舗が増え売上に陰りが見え始めたため、業態転換を考える様になりました。
このように喫茶店ぽるしぇに陰りが見え始めた事もあり、会社では新規出店を考えていました。
1983年に尾道に新たなゴルフ場「尾道うずしおカントリークラブ」がオープンすることになり、併設施設のレストランの話が舞い込み営業を委託されました。このレストランは5年ほど営業をしました。
1990年12月にはカニ料理で有名な甲羅グループとのご縁があり、福山にて洋風カニ料理「カーニーズ」の全国2号店目としてオープンしました。ちなみに1号店は甲羅グループの本社がある愛知県豊橋市でした。こちらの店舗については、7年後に残念ながら閉店の運びとなってしまいました。
このカーニーズの閉店後、「とんかつぽるしぇ福山店」として再スタートを切りましたが、洋食店の居抜きでの営業であったために、とんかつという業態と店舗の雰囲気とのミスマッチが生じました。
そのため新規客獲得に苦戦し、上手く売上を上げる事が出来ませんでした。結果、この店舗も約3年で閉店の憂き目を見る事となってしまいました。こうして出店⇒退店を繰り返した結果、出店に関わる銀行からの借入金がかさみ、資金繰りに非常に苦労する時期が続きました。いよいよ倒産も考慮に入れなければならないほどに追い込まれましたが、ここで救いの手が我社に差し伸べられました。
その一人がまず、株式会社OGMコンサルティング 榊 芳生社長です。榊社長はコンサルティング契約先に求められるがままアドバイスをするだけの一般的なコンサルタントではなく、既に経営が立ち行かない状態の会社に対しては「もう廃業しなさい」とハッキリと物を言うことが出来るコンサルタントでした。大変有難い事に、その榊社長に「経営者にやる気のある会社ならば助ける」と言って頂きました。そしてOGMコンサルティングが出資し店を構え、それを借り受けるという、OGMコンサルティングの取組みとしても全国2事例目の方式でOGMからの援助を受けることが出来ました。こうして出来たのが1997年オープンの「とんかつ かつ将」(福山店)でした。
もう1人助けて頂いたのが、OGMコンサルティングからご紹介を頂いた、ブラザー工業株式会社外食事業部の当時の社長です。カーニーズからの業態転換を図るにあたり、ブラザー工業がフランチャイズ展開をしているイタリア料理「グランピアット」との条件付きフランチャイズ契約をするお話を頂くことが出来たのです。その「条件」とは店舗運営にあたり、有限会社ポルシェが独自にグランピアットを運営するのではなく、グランピアットへのOGMコンサルティングの支援を取り付ける事が出来れば契約をする、というものでした。OGMコンサルティングはこの件に関しても我社への支援を約束して頂き、その結果グランピアットのオープンにこぎ着けることが出来たのです。
グランピアットオープン当初の写真
このように多くの方にご支援頂いた結果、有限会社ポルシェは危機的状況を乗り切ることが出来ました。この一連の経験から、我社は常に多くの方に助けて頂き今会社が存続しているという事を強く実感しました。その結果、常に「皆様のお蔭で今がある」という感謝の気持ちを忘れてはならないという事を学びました。
この「グランピアット福山店」はブラザー工業が子会社を整理することになり、将来の利益予定分を補償金として頂き、その後独自で営業を継続しました。このグランピアットですが、2013年11月27日をもって営業を終了しました。
既存店舗は、1998年にぽるしぇ本店をとんかつ・ハンバーグ・牛ステーキ・牛しゃぶしゃぶを扱う肉料理専門店へと特化しました。そして2000年にはとんかつ・釜飯専門店になりました。その後2013年には店舗の改装とリニューアルを行い、「とんかつ豚料理 ぽるしぇ」としてとんかつを始め、豚ハンバーグ・豚セイロ・豚しゃぶを扱う豚料理専門店として新たなスタートを切り、地域の皆様の御愛好を頂いております。
2015年10月末には甲羅グループとの再びの御縁があり、「赤から福山南蔵王店」をオープン。
また2016年11月には「かつ将神辺店」のオープン。更に2017年には「赤から東尾道店」をオープンさせて頂きました。
今後ともより多くの地域の皆様に食を楽しんでいただき、お役に立てられるようポルシェグループは取り組んでまいります。
本社:有限会社ポルシェ(とんかつ豚料理ぽるしぇ本店敷地裏)
本社住所:広島県尾道市高須町1351-1
本社TEL:0848-46-2184
本社FAX:0848-46-7472